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ありがとう!浅野崇史選手!

浅野崇史選手が引退することとなりました。
ここでは4年間、チームのためにプレーしてくれた浅野崇史選手の軌跡を辿っていきます。

また皆さんから浅野選手へのメッセージを受け付けます。
SNSなど考えましたが、浅野選手の手元に残るものを届けたいと思い、今回はハガキやお手紙など浅野選手へのメッセージを書いて八王子ビートレインズ事務所までお送りください。スタッフが責任を持って浅野選手に届けます。
たくさんのメッセージをお待ちしております。

【郵送先】
〒192-0904
東京都八王子市子安町3-6-7 サザンエイトビル1階
東京八王子ビートレインズ 浅野選手引退企画 担当宛

 
浅野 崇史(あさの たかふみ) 
プロフィール
生年月日:1985年10月11日
身長/体重:192cm / 82kg
出 身 地:神奈川県
出 身 校:専修大学
経 歴
2008-2009  埼玉ブロンコス
2009-2012  京都ハンナリーズ
2012-2013  デイトリックつくば
2013-2014  つくばロボッツ
2016-2020    東京八王子ビートレインズ
HISTORY
大学卒業後は埼玉ブロンコスでプレーし、京都ハンナリーズ、デイトリックつくば(現 茨城ロボッツ)でプレーしてきた。

小さい頃からプロバスケットボール選手になりたいと思い、やっと叶えた夢。
「バスケットボールを仕事にできる、生活ができる。」そうバスケットボール選手としての自信もついてきた28歳のころに結婚。一家の大黒柱として家族を支えていく、そんな新たな決意をした時だった。

2014-2015シーズン中に当時所属していたチームが経営難に陥る。浅野はチームを退団せざるを得なかった。他の退団選手は移籍先を探す中、浅野は「就職」という道を選ぶ。つまり引退だ。当時をこう振り返る。「バスケットへの未練とかそういうことは言っていられなかった。当時は結婚もして家を購入していたし、バスケットがしたいという気持ちより働かなくちゃという思いしかなかった。」そこから2年、解体業の現場監督として働いた。多い時は30人をまとめることもあったという。「ゼネコンと職人さんの間に入って仲を取り持つというか、調整する仕事がとても大変だったのを覚えている。」と浅野。このまま一般企業で働いていくものだと思っていた。しかし再び転機が訪れる。2016年、浅野が30歳の時に八王子ビートレインズからオファーがあり、再びコートに立つことを決意した。なぜ、オファーを受けたのか聞いてみた。「やっぱり未練はあったのかな。仕事しなきゃいけないとか家庭とか言っていたけど、正当化させていただけで、内心は体も動くし、バスケットがしたいと思っていたんだと思う。」

八王子に来て4シーズンとなった2019-20シーズン。八王子ビートレインズが経営難であることを知った。それは突然であり、思いもよらなかった。前所属チームも同じような状況になり、会社が破綻している。その頃のことを思い出さずにはいられなかった。
果たして今シーズンを乗り越えることができるのか、自分はこの先どうすべきなのか、不安しかなかった。
そんな時、世界中で新型コロナウイルスが流行し、日本にも大きな波紋を広げることとなる。B3リーグは2月半ばでシーズンが終了し、誰もが想像していなかった2019-20シーズンの幕締めとなった。
5月に入り、選手との交渉が始まったが、浅野が出した答えは「引退」だった。


今年で35歳を迎える浅野。一回りも下の選手が同じチームでプレーするようになった。
チームではとても明るく後輩の面倒見もいい選手だ。
コートの上では体を張ったプレーが多くのファンを魅了した。

最後のシーズンは満足のいくシーズンではなかったかもしれない。
しかしどんな時も自分の体に鞭を打ち、コートに立ち続けてくれた浅野選手、そして会社を信じてここまで共に戦ってくれた浅野選手に心から感謝している。

今後の人生が浅野選手にとって素晴らしい人生でありますように。
これからの八王子ビートレインズは浅野崇史を応援し続けます。
 
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